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毘沙門天王
善王寺毘沙門堂之由来
 今を去る壱千三百年余の昔推古天皇の御代丹後は丹波之国といわれし頃凶賊がしきりに出没し庶民の困苦甚だしきが朝聞に達し當時武勇名高き金磨親王は勅令により凶賊の討伐に向わせらるされど幾歳月討伐は容易に成らず親王深く憂慮され平岡(善王寺の旧地名)の地において遂に病魔に犯され給いしも或夜忽然として毘沙門天顕現し〈吾祥生を利せんがため一切の魔を降伏せしめん〉と告げ給いて忽ち姿を消さる親王霊夢より醒の既に病癒えたるを覚え毘沙門天の冥助深きを感じ直ちに軍勢を整へ賊を征伐し丹後を平定し給う
この時親王は平岡邑不断堂(現在地)の地を撰び立派な毘沙門堂建立されしが鑑觴にして丹後最古の毘沙門天と伝承されている
 時は移り永和三年(一三七七年)古刹善王寺の大伽藍跡に真言宗安徳山善王寺が建立されるに及びその境内地(通称古毘沙門山)に毘沙門堂も移し大いに栄えたが善王寺は元亀二年(一五七一年)織田信長による戦乱の兵火と文禄二年(一五九三年)細川忠興の丹後真言倒しの大難に逢い礎石を残し跡形もなく焼失滅亡したが毘沙門天の御尊像は不思議と微損もなく村人たちはその霊験の崇かさに驚愕し密かに仮堂を建て礼拝せしという
 その後二百七十余を経た弘化二年(一八四五年)三要寺移転の際荒廃した毘沙門堂を再び元の不断堂の地に再建せしも昭和二年三月突如奥丹後を襲った大震災により御堂は倒壊し参道も崩れ落ちたるに又々御尊像のみは何等の損傷もなく村人に守られ仮安置され尓来十年を経て三要寺第二十世住職謙洲和尚の発議により再建が計画され墓地の移転と境内の拡張等も衆議一決し區民の総力を結集して再建に努め當時凡そ壱満円の莫大な浄財の寄進により昭和十三年五月現在の毘沙門堂が建設された
 御尊像は室町時代以前の作といわれ比較的温和な容姿を湛えた毘沙門天にして家内安全家業繁昌福壽増長等庶民生活の平和を獲る福の神として近隣の信仰をあつめている

 ※昭和十四年正月、善王寺毘沙門天奉賛会
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