|
トップページ > 日進月歩 > 2008年
坐禅儀に親しむ11 2008年07月06日
「坐禅儀に親しむ」その11
若善得此意(若し善く此の意を得れば) 則自然四大軽安(すなわち自然に四大軽安にして) 精神爽利正念分明(精神爽利に正念分明にして) 法味資神寂然清楽(法味神をたすけ寂然として清楽ならん) 若己有発明者(若し己に発明する者有れば)
もし、よく以上の坐禅の精神がわかれば、自然に体は軽く安らかになり、 心はさわやかに、意識は統一ざれてするどくなってくる。 このように正念の味わいが精神を育て、どこまでも静かに落ちついて、安らかで楽しいと思えるようになる。 さらに、もし自己の本心に目覚めるいうことになれば
いよいよ「坐禅の功徳」と「見性の大事」を説かれる事になります。 その前触れとして「若し善く此の意を得れば」にはじまります。 此の意とは何でしょうか? 「開目の禅」であったり「念起こらばすなわち覚せよ」であったり「久々に縁を忘ずれば、自ずから一片となる」だったりです。 つまり「坐禅の要術」を言っています。
私たちは目の前の「損得」をすぐ考えてしまいます。 坐禅をすれば何か功徳が得られるだろう・・「坐禅の功徳」 でも、坐禅は功徳を目的にして実践するものではありません。 坐禅の功徳は、実践の結果自然に身についてくるものなんです。 達磨大師は「無功徳」とインドから中国に渡航してきたとき言っているほどです。
「損得」を離れ、自然に身につくものを私たちは求めることが「坐禅の功徳」となることを知って頂きたいと思います。
|